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店主コラム

2008年 3月 17日

「ジョージ・ナカシマ」

(前々回よりの続き…)

思った通り、何も変わっていない・・・
14年後の自分がタイムマシンで過去に戻ったかのように、まわりの空気まで同じ匂いだ。
ハーマン・ミラーやチャールズ・イームスと並ぶ、現代でも世界中で人気の高い家具作家「ジョージ・ナカシマ」は、1905年、米国ワシントン州に生をうけ、1944年、ここニューホープ近郊のペンシルヴェニア州バックス郡の小さな家のガレージを工房として 、デザインから製作まで一貫した木製家具作りを始めた。
現在は後継者のミラさんとケビンさんらの手によって、以前と同じように家具の製作が続けられている。

ミラさん・ケビンさんと

初対面の時から14年経って、今はナカシマの家具を扱うギャラリーと、この家具を配した宿泊施設を完成できた事へのお礼と報告を兼ねて、ここを訪れたのだ。
ナカシマが作った工房「コノイド・スタジオ」では、明日開催されるという音楽会のために、彼の作品である椅子がたくさん並べてあった。
その中の一つに腰を掛け、ケビンさんと話をしながら、ゆったりと流れる時間を楽しんでいると、まるでナカシマの魂と対峙しているような気分だ・・・

時は遡って1941年、日本軍の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃発し、当時ワシントン州に居たナカシマは、敵国民として、アイダホ州ミニドカ・キャンプに家族とともに抑留されてしまう。そこで日系二世の大工と知り合い、基本的な木工技術と木についての知識を得たという。皮肉な事に、戦争が家具作りのきっかけになったという事だ。
京都にて千利休と楽長次郎が「楽茶碗」を完成させたのは戦国時代だった。人は明日をも知れぬ境遇に置かれたとき、自分の生きた証として、究極の美を創造し、遺そうとするのか?

14代楽覚入(1918年生)造

時代が移って、戦中は敵同士だった人たちも、今は仲良く暮らしている。明日の音楽祭には、近隣の友人・知人が大勢来るらしい。私も誘って頂いたが、予定を組んでいたので残念ながら辞退した。
全くの平和とは言えないこの国においても、楽家同様、山にアメリカン・ブラックウォールナットの木がある限り、ナカシマ家は代々家具を作り続ける事だろう。
私は嬉しい気分で、ニューホープをあとにした。

アメリカン・ブラックウォールナット

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